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やなせたかしさんの妻 暢さんの生涯

NHK朝の連続テレビ小説「あんぱん」のモデルである、やなせたかしさんの妻 暢さんの生涯と晩年について、以下に詳しくまとめました。

1. 生涯の概要
・出生、旧姓
1918年(大正7年)5月18日、大阪府生まれ。旧姓は「池田」。

・学生時代
韋駄天(いだてん)の異名を持つ短距離ランナーとして知られる。

大阪府立阿倍野高等女学校(現、大阪府立阿倍野高等学校)を卒業。

・最初の結婚と死別
1939年、日本郵船に勤務していた小松総一郎と結婚。

しかし、夫は戦地から生きて帰ったものの、終戦直後に病気で亡くなります。

暢さんはその後も小松姓を名乗り続けました。

・やなせたかしとの出会い
戦後の1946年、高知新聞社でやなせたかしと出会います。

暢さんは当時、高知新聞社初の女性記者であり、速記が得意でした。

やなせさんは彼女に一目惚れしたと言われています。

・上京と結婚
暢さんは高知県選出の衆議院議員の秘書を務めるため、高知新聞社を退職して上京。

やなせさんも彼女を追って上京し、1949年(昭和24年)に結婚しました。

・「アンパンマン」の成功と闘病
長く日の目を見なかったやなせさんを「私が働いて食べさせてあげる」「あなたは普通の人とちょっと違うところがある。

必ずいつか認められます」と励まし続けました。

「アンパンマン」がテレビアニメ化されて大ブレイクした昭和63年(1988年)頃、暢さんは乳がんと診断されます。

2. 晩年について(特に闘病生活)
暢さんの晩年は、やなせさんの「アンパンマン」が社会現象となる中で、自身の闘病と重なる時期でした。

・病気の宣告
乳がんであることが発覚し、手術を受けるも、すでに全身に転移しており、医師から「余命3カ月」と宣告されました。

この時、やなせさんは、妻の体調の変化に早く気づかなかった自分を責め、「ぼくが悪かった」と深く後悔したと著書に記しています。

・民間療法「丸山ワクチン」
絶望の淵にいた夫妻を救ったのは、知人から勧められた「丸山ワクチン」でした。

当時はまだ国から認可されていなかったものの、「藁にもすがる思い」でこのワクチンを打ち始めました。

・余命を超えた5年間
奇跡的に暢さんの体調は回復し、余命3カ月の宣告から5年間も生きることができました。

この間も、お茶の稽古や山歩きといった趣味を楽しみ、できる限りやなせさんを支え続けました。

・最期の別れ
闘病生活の末、1993年(平成5年)11月22日、やなせさんに手を握られたまま、75歳で亡くなりました。

この日は奇しくも「いい夫婦の日」でした。

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・やなせさんの後悔
暢さんの死後、やなせさんは「丸山ワクチンを途中でやめてしまったこと」を後悔していました。

暢さんは丸山ワクチンの投与をやめて抗がん剤治療に切り替えた後、激しい副作用に苦しみ、痩せ細って亡くなったからです。

やなせさんは、この経験から「標準治療以外はできない」という医療の姿勢に疑問を抱くようになり、晩年までこの後悔を語り続けたとされています。

暢さんは、やなせさんが世に出るまで支え続けただけでなく、自らも秘書をスカウトして事務所の運営を担うなど、陰日向となって夫を支えた人物でした。

夫婦の間に子供はいませんでしたが、やなせさんは「アンパンマンが僕らの子どもだ」と語っており、暢さんとの愛情が「アンパンマン」という作品に込められていたことがうかがえます。