せっかく大学を卒業したのに、就職は大変でした。オイルショックで世の中は不景気でしたが、田舎に帰って仕事につこうとしていたので、会社の数が絶対的に少ないですから、輪をかけて酷かったです。東京で就活していれば良かったと、当時は相当後悔しました。
それに営業職だけはやりたくなかったのですが、そのような求人しかありませんでした。住宅や車のセールスの求人はいつでもありましたね。自分の好きな仕事につけるのは1%未満だといわれていますが、私は不本意ながらも、地元では大きな家具屋に営業として就職しました。
家具屋の狙いどころというのは、結婚する人へ提供する婚礼家具セットなどのブライダル需要です。今では考えられませんが、昔は市町村の役所に行って住民台帳を閲覧できました。つまり結婚適齢期と思われる女性の情報をメモして、見込み先リストを作る訳です。営業部門総出で、朝から晩まで3~4日行っていたと思います。
そのリストを元に営業活動していきました。渋々ではありましたが、それなりに営業成績は残せたと思います。しかし、その家具屋は経営状態が良くないのに拡大路線をとっていたようで、しばらくすると倒産してしまいました。その後は機械部品関連の商社に入って長い間営業マンをしていましたね。
毎日車で営業活動していましたから、事故になりそうな危ない目に何度もあっていました。ある時ふと、輸血するようなことになったら血液型がはっきり分からないことに気がつきました。なんとなくA型だと思っていましたが、献血に行ったら何と私はB型だったのです。それなりに営業成績が残せたのは、B型の要素が功を奏したのではないかと思いました。
音楽の方は、酒を飲んだ勢いで歌うカラオケくらいしかやっていませんでした。最初は、8トラックの大きなカセットタイプのものでしたね。曲は当時は演歌や歌謡曲しかありませんでしたから不幸な時代だったと思います。今はリリースされている曲は全部ありますね。
しばらくして音楽シーンでは、村下孝蔵がデビューしました。フォークテイストが懐かしくて堪らなく好きでしたね。村下さんに刺激された感じで、フォークギターを取り出してまた曲作りを始めました。残念ながら村下さんは、49歳でなくなってしまいました。その頃作った曲です。ダイジェストですが良かったらお聴き下さい。


