蔦屋重三郎の時代、吉原では確かに多くの祭りや興行が行われており、それらは集客の重要な手段でした。
大河ドラマ「べらぼう」第12回 「俄なる明月余情」では、小田新之助とうつせみが、祭りに乗じて手をつないで大門から出ていきました。
足抜け成功したのでしょうか?
吉原における「足抜け」(逃亡)の可能性については、いくつかの歴史的な文脈を考慮する必要があります。
当時の遊郭システムは非常に厳格で管理されており、女性たちは実質的に自由を制限されていました。
〇吉原における女性の境遇
*契約と借金
多くの遊女は幼少期に家族によって売られ、高額な借金を背負っていた。
この借金返済のため、彼女たちは事実上、遊郭に縛られていた。
*監視システム
遊郭には厳重な監視システムが存在。
「番人」や「仲間」と呼ばれる従業員が常に女性たちを監視。
逃亡を防ぐための物理的、社会的障壁が多数存在。
*逃亡のリスク
成功した場合でも、家族への報復や社会的制裁のリスクが高かった。
捕まった場合、厳しい懲罰や更なる借金が課せられた。
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具体的な「足抜け」の事例については、以下のような状況が考えられます。
1. まれに、客との強い結びつきや外部の助力によって逃亡を成功させる女性もいたとされています。
2. 「マブ」(仲介者や世話人)が逃亡を幇助するケースは、リスクが高いため非常に稀でした。
3. 祭りや賑わいの機会は、確かに逃亡の潜在的な可能性を高める要因の一つでしたが、実際の逃亡は極めて困難でした。
歴史的な記録によれば、完全な「足抜け」は非常にリスクが高く、ほとんどの場合、遊女たちは厳しい管理下に置かれていたといえるでしょう。
もし本当に逃亡を企てる場合、以下のような綿密な計画と条件が必要でした。
・十分な資金
・信頼できる外部の支援者
・高度な秘密性
・事前の緻密な計画
興味深いことに、こうした状況下でも、全く希望がなかったわけではありません。
稀に、篤志家(とくしか=社会奉仕や慈善事業などに熱心な人)や恋人の助けを借りて、借金を返済し自由を勝ち取る女性もいたとされています。
この話題は、江戸時代の社会構造、女性の地位、そして人間の自由に関する深い洞察を提供してくれる歴史的テーマだといえるでしょう。

