蔦屋重三郎のライバルだった地本問屋 鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)が店をたたむということが伝えられました。
史実ではどうだったのでしょうか?
鱗形屋孫兵衛(うろこがたや そんべえ)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した地本問屋の経営者です。
蔦屋重三と並ぶ浮世絵出版の重要人物でしたが、蔦屋ほど詳細な記録が残っていません。
〇経歴と事業
*創業
1751年頃(宝暦年間)に江戸の日本橋で開業したとされています
*所在地
江戸 日本橋通一丁目(現在の東京都中央区日本橋)
*屋号「鱗形屋」は「うろこがたや」と読み、魚の鱗(うろこ)の形に由来すると考えられています
*経営者
初代孫兵衛から代々世襲され、複数代にわたって事業を継続
〇出版活動
鱗形屋の主な出版物
・錦絵(浮世絵)
・絵本類
・地誌(案内本)
・読本
・黄表紙など
特に美人画や役者絵を得意とし、勝川春章、喜多川歌麿、歌川豊国などの有名浮世絵師と取引がありました。
〇蔦屋重三郎との関係
蔦屋重三郎(1750-1797)が鱗形屋の最大のライバルでした。
両者の競争関係は江戸時代の出版、浮世絵業界を活性化させた要因の一つといわれています。
・蔦屋が喜多川歌麿や東洲斎写楽といった革新的な絵師を起用したのに対し、鱗形屋はより伝統的な路線を守った側面があります。
・しかし鱗形屋も歌川豊国など後に大成する絵師を見出す眼力がありました。
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〇衰退と廃業
鱗形屋は19世紀初頭(文化、文政期)以降、徐々に勢いを失ったとされています。
・蔦屋重三郎の死後も、浮世絵出版業界は激しい競争が続き、新興の版元が台頭。
・天保の改革(1841-1843)による出版規制の強化も影響したと考えられます。
・正確な廃業時期は記録に乏しいですが、19世紀中頃(天保末期から安政、文久年間)に店をたたんだという説が有力です。
廃業の直接的な理由は明確に記録されていませんが、以下のような要因が考えられます。
・経営不振
・後継者問題
・幕末の社会変動による出版市場の変化
・新しい印刷技術の台頭に対応できなかった可能性
鱗形屋は江戸時代の浮世絵文化の発展と普及に大きく貢献した版元でしたが、蔦屋重三郎と比べ歴史的な記録や研究が少なく、その全容は今なお研究途上の部分が多いです。

