小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1890年に松江へ赴任し、約1年3カ月という短い滞在期間ながら、その後の彼の文学的キャリアの核となる深い感銘を受けました。
彼が愛した具体的な暮らしぶりと、絶賛した日本人の精神性について詳しく説明します。
■松江での具体的な暮らしぶり
八雲は、松江の古い武家屋敷や自然、そして日々の素朴な生活を心から楽しんでいました。
1. 侍の屋敷と庭園への愛着
八雲は「庭のある侍の屋敷に住みたい」と強く願い、1891年に北堀町にある松江藩士・根岸家の旧居に移り住みました。
*庭との対話
居間の三方(南・西・北)に広がる庭園を眺めることを日課とし、特に北側の庭を好みました。
彼はここで和服をまとい、座布団に座ってキセルで煙草を燻らす時間を愛しました。
*自然への畏敬
庭に住むカエルや虫たちを友人として扱い、彼らの鳴き声に季節の移ろいを感じる暮らしを送っていました。
2. 松江の風景と食
*宍道湖の夕日
宍道湖に面した小さな蕎麦屋から眺める夕日を「格別の趣がある」と絶賛していました。
*好物とこだわり
甘党だった八雲は、松江の和菓子、特に羊羹を非常に好んでいました。
また、日本食の中では鰻や奈良漬が好きでしたが、一方で刺身や寿司はあまり口にせず、自宅ではビフテキやプラムプティングといった洋食をリクエストすることもあったようです。
3. セツとの生活と「ヘルン言葉」
妻・セツは松江の士族の娘であり、彼女から聞く地域の民話や怪談が八雲の創作の源泉となりました。
*独自のコミュニケーション
英語を解さないセツと、日本語が不自由だった八雲は、二人の間だけで通じる「ヘルン言葉」という独特の言葉を使って意思疎通を図っていました。
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■絶賛した「日本人の精神性」
八雲は、近代化(西洋化)される前の日本人が持っていた内面的な美しさを、著書『知られぬ日本の面影』などで高く評価しました。
1. 「無私」と「簡素」な生き方
八雲は、当時の日本人が持つ「最小限のもので満足する清貧さ」に感銘を受けました。
物欲が少なく、簡素な住まいや道具を大切に使い、自然と調和して生きる姿に、西洋的な物質主義とは異なる高潔さを見出しました。
2. 誠実さと礼儀正しさ
松江の人々と接する中で、彼は日本人の「誠実さ」や「優しさ」を絶賛しました。
見ず知らずの外国人である自分に対しても、偏見なく親切に接してくれる人々の態度を「神々の国の首都」の住人であると表現しています。
また、教育の現場(島根県尋常中学校)でも、生徒たちの真面目さや従順さ、そして礼儀を重んじる姿勢に深い信頼を寄せていました。
3. 祖先崇拝と自然との共生
八雲は、日本人の精神の根幹には「祖先信仰」があると考えました。
*見えない世界への敬意
日本人が死者を忘れず、日々仏壇や神棚に祈りを捧げる姿に、目に見えないもの(精神的なつながり)を大切にする誠実さを感じ取っていました。
彼は、日本の自然災害の多さが、かえって変化を受け入れ、現在を懸命に、かつ穏やかに生きる日本人の強靭な国民性を育んだと分析しています。
八雲は、西洋化が進む中で失われつつある「古き良き日本の心」を誰よりも惜しみ、それを記録に残そうとしました。
彼にとって松江は、まさにその精神性が息づく理想郷だったのです。

