小泉八雲は 明治24年(1891年)に第五高等中学校(のちの第五高等学校)へ英語教師として着任 しました。
熊本での生活は約3年間で、彼の日本観を深める重要な時期であったとされています。
五高記念館には、当時の資料が現在も残されており、八雲の教育者としての姿を知ることができます。
同校に在籍した後の総理大臣・池田勇人や佐藤栄作、そして後任教師となった夏目漱石との関係などご紹介します。
■夏目漱石との関係(後任教師)
夏目漱石は 明治29年(1896年)に五高の英語教師として着任 し、八雲の後任にあたります。
漱石は熊本での生活を「森の都だな」と評したと伝えられ、在任中に6回も転居するなど、熊本での生活は決して楽ではなかったようですが、後の文学活動に影響を与える経験を積んだ時期でもありました。
五高記念館には、八雲と漱石の教師時代の資料が共に保存されており、両者が熊本で過ごした時期が文学史的にも重要であることがわかります。
■五高と政治家(池田勇人・佐藤栄作)
第五高等学校は、旧制高等学校の中でも 政治家志向・中央官僚志向が強い校風を持ち、多くの政治家を輩出したことで知られています。
その中には、後に内閣総理大臣となる
・池田勇人(第58・59代総理大臣)
・佐藤栄作(第61~63代総理大臣)
といった人物も含まれています。
ただし、彼らが五高に在籍したのは 八雲や漱石の赴任時期より後の世代 であり、直接の接点はありません。
しかし、五高が「将来の国家中枢を担う人材を育てる場」であったことを示す象徴的な例といえます。
■五高という場の特質
五高は、旧制高等学校の中でも特に
・厳格な校風(剛毅朴訥)
・広大な敷地と充実した教育環境
・東京帝国大学への進学者が多い進学校
として知られ、後の日本の政治・文化を担う人材を多数輩出しました。
八雲や漱石のような文豪が教壇に立ち、後に総理大臣となる人物たちが学んだという点で、五高は明治~昭和期の日本における重要な教育拠点であったといえます。
■まとめ
・小泉八雲は 1891?1894年頃 に五高で英語を教えた。
・夏目漱石は 1896年から 五高の英語教師となり、八雲の後任にあたる。
・池田勇人・佐藤栄作は 後年の五高出身者 で、八雲・漱石とは時代が異なるが、五高が政治家を多く輩出した象徴的存在。
・五高は文学・政治の両面で日本史に大きな影響を与えた教育機関である。

