【PR】
メールサポートあり
30日で弾けるギター上達講座

志穂美悦子 シャンソン歌手デビュー

元女優でフラワーアーティストとして活躍していた志穂美悦子さんが、シャンソン歌手としてデビューしました。

彼女は「鬼無里(きなさ)まり」という名義でデビューしました。

彼女のデビューは、東京・古賀政男音楽博物館けやきホールで開催された「エターナルソング・コンテスト」の受賞作品お披露目コンサートで行われました。

このコンテストは、音楽評論・作詞家の湯川れい子氏が実行委員長を務めるイベントで、「永遠に生き続ける歌・歌い継がれる歌 大人のための歌・作詞」を募集しています。

志穂美悦子さんは、この日のコンサートで「愛してくれるなら」「自惚れさせてよ」の2曲を歌唱しました。

彼女は「シャンソンがすごい好きで『来世、歌えたら』と冗談で言っていたら…」と語り、新たな挑戦に意気込みを見せていました。

また、彼女の夫であるシンガーソングライターの長渕剛さんについては、「謀反を起こしましたので、打ち首か切腹かな?」とジョークを交えてコメントしていました。

これからの活動にも注目ですね…

【PR】
30日で弾けるギター弾き語り講座

志穂美悦子さんは、1970年代から1980年代にかけて活躍した女優で、日本で初めて女優自らスタント・擬斗を演じたことで知られています。

彼女は「日本初のアクション女優」と呼ばれ、その後も追随する存在は出ていないと言われています。

彼女の女優時代には以下のようなエピソードがあります。

・志穂美悦子さんは、子供の頃から運動が得意で、中学・高校と陸上部に所属していました。

中学時代には80メートルハードルで、13秒4という岡山県歴代2位の記録を残しています。

・1968年から放映されていた『キイハンター』を観て以来、千葉真一の熱狂的ファンとなり、感化されて高校生の時に、スタントマンになりたい夢を抱きました。

・1972年に千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブ (JAC) を受験して合格し、その年のうちに高校を転校して上京しました。

・1973年に千葉真一主演作『ボディガード牙』で、牙直人の妹のマキのアクションの吹き替え役に抜擢され、スタント俳優としてのデビューを果たしました。

・1974年には千葉真一主演作『女必殺拳』の主人公に選ばれ、日本では同年に公開され大ヒットし、千葉真一 山下タダシのカラテ映画と同様にシリーズ化されました。

・1975年には梶原一騎原作の『若い貴族たち 13階段のマキ』や志穂美の多羅尾伴内的七変化が見所の『華麗なる追跡』、翌1976年には『必殺女拳士』など主演作が相次ぎ、当時の人気スターのバロメーターであったブロマイドの売上がNo.1となり、以後数年間その地位を固守しました。

・また、超ハードなトレーニング中に口の中に血の味を感じたことがあり、10m以上の高さから飛び降りたこともあるといわれています。

これらのエピソードから、志穂美悦子さんの女優時代は、その才能と努力によって多くの成功を収めた時期であったことがわかります。

彼女の活動は、日本の映画界における女性の地位向上に大いに貢献しました…