セツの家が貧しかった背景には、松江藩の没落と明治維新後の急激な社会変動が深く関係しています。
以下に詳しく説明します。
1. 小泉セツの家柄と武士階級の崩壊
セツの実家 小泉家は、松江藩の中でも上級士族に属する由緒ある家柄でした。
代々300石を食み、50人の侍を統率する番頭職を務めていた名家であり、藩主への御目見えが許される「上士」でした。
しかし、明治維新によって武士階級そのものが制度的に消滅し、禄(給与)を失った士族たちは生活基盤を喪失しました。小泉家も例外ではなく、廃藩置県後は経済的困窮に陥ります。
2. 松江藩の政治的立場と財政難
松江藩は徳川家の有力一門である松平家が治めていたため、幕府寄りの立場にありました。
戊辰戦争ではどちらに与するか決めかね、最終的には新政府に恭順しましたが、その優柔不断さが新政府からの信頼を得られず、冷遇されました。
さらに、江戸時代末期から松江藩は財政的に逼迫しており、借金も膨らんでいました。
明治維新による制度改革と戦後処理が追い打ちとなり、藩の財政は壊滅的な打撃を受けました。
3. 文明開化への対応の遅れ
西国の有力藩(薩摩、長州など)は早期に洋式軍制や教育制度を導入し、新政府の中枢を担いました。
一方、松江藩は地理的にも政治的にも孤立し、近代化への対応が遅れました。
その結果、旧士族たちは新しい社会での職を得ることが難しく、生活は困窮しました。
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4. セツの父 小泉弥右衛門の苦境
セツの父は藩の習兵所の取締役を務めるなど、武芸に秀でた人物でしたが、維新後は軍務に従事するも、安定した収入は得られず、家族を養うには厳しい状況でした。
セツは11人兄弟の6番目で、5人の兄弟が夭折していることからも、生活の厳しさがうかがえます。
※まとめ
セツの家が貧しかったのは、単なる個人の事情ではなく、松江藩という名門藩が明治維新後の政治的、経済的変動に適応できず、士族階級が制度的に崩壊したことによる構造的な問題でした。
文明開化に乗り遅れたというよりも、旧体制に深く組み込まれていたがゆえに、新体制への移行が困難だったのです。

