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東洲斎写楽 正体 徳島藩お抱え 能役者

東洲斎写楽の正体として、徳島藩お抱えの能役者 斎藤十郎兵衛(さいとうじゅうろべえ)が有力とされている説について、詳しく説明します。

1. 斎藤十郎兵衛説が有力視される根拠
この説の最大の根拠は、江戸時代に記された資料にあります。

・『増補浮世絵類考』
浮世絵師に関する基本的な文献として知られるこの書物には、「俗称斎藤十郎兵衛、居、江戸八丁堀に住す。阿州候の能役者也」という記述があり、写楽の正体が徳島藩主蜂須賀家に仕える能役者 斎藤十郎兵衛であると明記されています。

・『諸家人名江戸方角分』
江戸の著名人名簿であるこの書物にも、八丁堀地蔵橋に住む浮世絵師「写楽斎」の名が記されています。

・斎藤家の過去帳
1997年に埼玉県越谷市の法光寺で斎藤家の過去帳が発見され、「八丁堀の地蔵橋に住んでいた阿州(阿波)藩の家臣、斎藤十郎兵衛」が実在したことが確認されました。

これらの資料から、斎藤十郎兵衛という人物が実在し、徳島藩に仕える能役者であり、かつ江戸の八丁堀に住んでいたことが裏付けられました。

また、「東洲斎」という号も、十郎兵衛が住んでいたとされる「東(江戸)の洲(八丁堀周辺)」に由来するのではないか、という説もあります。

2. 能役者としての背景
斎藤家は代々、徳島藩に仕える能役者の家柄で、能楽のワキ方(主役の相手役)を務める家系でした。

能役者は、武士に準ずる高い身分とされていました。

しかし、浮世絵師(町絵師)は、一般的には身分が低いと見なされていました。

そのため、斎藤十郎兵衛が浮世絵師として活動するにあたり、自らの社会的地位を守るために、本名を伏せて「東洲斎写楽」という匿名で活動したと考えられています。

また、能楽は、演者の動きや表情、内面を深く掘り下げて表現する芸術です。

斎藤十郎兵衛が能役者であったとするならば、写楽の描いた役者絵が、単なる似顔絵に留まらず、役者の内面や感情を深くえぐり出すような独特の表現力を持っていることにも納得がいきます。

3. 未だに残る謎
斎藤十郎兵衛説は最も有力とされていますが、依然として解明されていない部分もあります。

・確たる証拠の欠如
斎藤十郎兵衛が東洲斎写楽と同一人物であると断定できる、決定的で直接的な証拠(例えば、十郎兵衛が描いた写楽の絵や、その活動を記した本人による日記など)はまだ見つかっていません。

・浮世絵を学んだ経緯
能役者が、なぜ突然、高度な技術を要する浮世絵を、それも初期から完成度の高い「雲母摺(きらずり)」という技法を用いて描くことができたのか、その経緯や修行の過程は不明なままです。

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※まとめ
東洲斎写楽の正体が徳島藩の能役者 斎藤十郎兵衛であるという説は、江戸時代の複数の文献や、実在が確認された斎藤家の過去帳など、多くの傍証によって裏付けられています。

能役者という専門的な背景が、写楽の作品が持つ特異な表現力と結びつく点も、この説を強力なものにしています。

しかし、決定的な直接証拠がないため、あくまで「最も有力な説」であり、写楽の生涯や活動の詳細は、いまだ謎に包まれています。