大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で、ひょうろくさんが演じる松前藩江戸家老の松前廣年(まつまえ ひろとし)は、画家としても知られる「蠣崎波響(かきざき はきょう)」としてその名を残した人物です。
松前廣年、後の蠣崎波響の生涯は以下のようになります。
生い立ちと画家としての才能
・宝暦14年(1764年)に松前藩7代藩主 松前資廣と、松前藩士の娘 勘子の子として生まれます。
・翌年、父が亡くなり、異母兄の松前道廣が藩主を継ぎます。
・その後、松前藩家老 蠣崎広武の養子となり、家老職に就きました。
・幼い頃から絵を好み、8歳の頃には馬場での馬術練習を見て、馬の駆ける様子を描いて周囲を驚かせたという逸話が残っています。
・叔父で家老の広長は彼の才能を惜しみ、安永2年(1773年)に江戸へ上らせ、南蘋派の画家 建部凌岱(たけべ りょうたい)に学ばせました。凌岱が翌年に亡くなると、円山応挙(まるやま おうきょ)に師事し、高山彦九郎(たかやま ひこくろう)とも交流を深めました。
画家としての活躍と「夷酋列像」
・寛政3年(1791年)には、アイヌの首長を描いた代表作「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」を携えて京都へ赴き、話題となりました。
この絵は光格天皇(こうかく てんのう)の天覧(天皇が絵を鑑賞すること)という栄誉も得ています。
転封と松前への復帰
・蝦夷地がロシアの南下政策の脅威にさらされるようになると、幕府は蝦夷地の防衛と開発の重要性を認識します。
これまでの松前藩による支配では不十分であると判断し、文化4年(1807年)に蝦夷地全域を幕府直轄領(天領)としました。
この際、松前藩は領地を召し上げられ、陸奥国伊達郡梁川(現在の福島県伊達市梁川町)に9千石で転封となりました。
これは松前藩にとって非常に大きな打撃であり、廣年も家老としてこの転封に直面しました。
松前廣年は、梁川への転封後も、旧領である蝦夷地への復帰を強く望み、そのために家老として藩政に尽力しました。
・松前廣年は画家としての才能を活かし、彼の描いた絵が、蝦夷地への復帰運動における贈答品や資金調達に大いに役立ったと言われています。文化人としての彼の名声が、藩の窮地を救う一助となったのです。
・梁川での生活は、彼にとって創作活動の充実期でもあり、数々の作品を残しました。
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晩年と子孫
・文政9年(1826年)に江戸で病を得て、松前にて63歳で亡くなりました。
・廣年の子や孫も松前藩の家老として活躍しており、長男の波鶩(広伴)も画家として知られています。
大河ドラマでは、兄である自由奔放で非道な松前道廣(えなりかずきさん演)とは対照的に、心根の優しい人物として描かれ、吉原の花魁 誰袖(福原遥さん演)に翻弄される一面も描かれています。
また、松前藩の財政を立て直すため、国禁である密貿易(抜け荷)に手を出してしまう可能性も示唆されています。

