【PR】
メールサポートあり
30日で弾けるギター上達講座

11代将軍徳川家斉の父 一橋治済の生涯

NHKの大河ドラマ「べらぼう」で生田斗真さんが演じている一橋治済(ひとつばし はるさだ)は、江戸時代後期に幕政に大きな影響を与えた人物であり、11代将軍・徳川家斉の父として知られています。

彼の生涯は、権力闘争と政治的策略に満ちていました。

〇幼少期と家督相続
治済は1751年に一橋家の初代当主・徳川宗尹の四男として生まれました。

一橋家は御三卿の一つであり、将軍家に次ぐ重要な家柄でした。

彼は若くして家督を継ぎ、一橋家の当主となりました。

〇息子・家斉を将軍にする
1779年、10代将軍・徳川家治の嫡男である家基が急死し、後継者問題が発生しました。

この機会を利用し、治済は自身の息子・家斉を次期将軍にするために動きました。

田沼意次の支援を受け、家斉は家治の養子となり、1786年に11代将軍として就任しました。

〇田沼意次の排除と松平定信の登用
家斉が将軍になった後、治済は田沼意次を排除し、代わりに松平定信を老中首座に据えました。

定信は「寛政の改革」を推進し、幕府の財政を立て直そうとしましたが、治済との関係は次第に悪化しました。

〇尊号一件と定信の失脚
1789年、光格天皇が実父に「太上天皇」の尊号を贈ろうとしましたが、定信が反対しました。

同じ頃、家斉も治済に「大御所」の尊号を贈ろうとしましたが、定信がこれを阻止したため、治済は定信を失脚させました。

〇晩年と権勢
治済は幕政に深く関与し続け、1799年には従二位権大納言に昇進しました。

彼は贅沢な生活を送り、多くの賄賂を受け取っていたとされています。

1827年に死去し、その生涯は権力闘争に彩られたものでした。

彼の生涯は、幕府内の政治的駆け引きと権力争いの象徴ともいえるものです。

【PR】
今から人生を謳歌する ギター演奏のすすめ

徳川家基の急死については、病死とされていますが、暗殺説も根強く存在しています。

家基は1779年に鷹狩りの最中に突然体調を崩し、数日後に亡くなりました。

その死因については公式記録では明確にされておらず、これが陰謀説を生む要因となっています。

一橋治済が関与していたという説は、家基の死後に彼の息子・家斉が将軍となったことから生じています。

家基が生きていれば、将軍職は彼が継ぐはずでしたが、彼の死によって一橋家の影響力が増し、治済の息子が将軍となる道が開かれました。

このため、「治済が家基の死を画策したのではないか」という疑念が生まれたのです。

また、当時の幕府内では田沼意次の政策を巡る対立があり、家基は田沼の政策に批判的だったとされています。

そのため、田沼が家基を毒殺したのではないかという説もあります。

ただし、これらの説はいずれも確たる証拠がなく、歴史的な推測の域を出ません。

家基の死が幕府の権力構造に大きな影響を与えたことは間違いありませんが、治済が直接関与したかどうかは、今もなお議論の余地があるテーマです。