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朝ドラ「あんぱん」 たかしとのぶの結婚

朝ドラ「あんぱん」のモデルである漫画家のやなせたかしさんと妻の暢さんの結婚について、史実はどうだったのでしょうか?

やなせたかしさんと暢さんの出会いは、戦後の1946年、高知新聞社でした。

暢さんはすでに高知新聞社で働いており、やなせさんが一目惚れしたと言われています。

当時、暢さんは高知新聞社初の女性記者として採用され、「速記の達人」で「色白の快活な美少女タイプ」でありながら、時には金を払わない相手にハンドバッグを投げつけるような豪快な一面も持っていたそうです。

やなせたかしさんと暢さんの結婚
やなせさんは暢さんに強く惹かれ、交際が始まります。

その後、暢さんが仕事で東京へ行くことになると、半年後にはやなせさんも後を追いかけ、1949年に結婚します。

結婚式は、戦後の混乱期で食糧難であったこともあり、婚姻届を出しただけで盛大な式は行いませんでした。

二人の新婚生活は、暢さんの下宿先であった建築屋さんの子供部屋にやなせさんが転がり込む形で始まり、二人の財産はやなせさんの飯盒一つと暢さんの大きなストロベリージャムの缶詰だけという貧しいものでした。

しかし、暢さんはその貧しい暮らしも「私、こういう生活、夢見てたの。とっても幸せよ」と語るほど、天真爛漫でポジティブな性格だったようです。

暢さんは、やなせさんが漫画家として独立する際も「失敗したら私が養ってあげる」と背中を押し、やなせさんの創作活動を支え続けました。

やなせさんは暢さんのことを「オブちゃん」と呼び、最晩年には「妻がいないと生きていけない」と語るほど、深い愛情で結ばれていました。

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暢さんの初婚について
暢さんは、やなせたかしさんと結婚する前に一度結婚しています。

暢さんの最初の夫は、小松総一郎さんという方です。

暢さんは大阪府立阿倍野高等女学校を卒業後、日本郵船株式会社に勤務していた小松総一郎さんと1939年に結婚しました。

しかし、小松総一郎さんは召集され戦地を生き抜いたものの、終戦直後に病死してしまいます。

暢さんはこの死別後も小松姓であり続け、やなせたかしさんと再婚したため、再婚は2度目ということになります。

暢さんの生い立ちについては、やなせさんと出会う前の資料がほとんど残されておらず、特に初婚前の人生はあまり分かっていないとされていますが、父親がかつて巨大企業「鈴木商店」に勤務していたため、幼い頃は裕福な生活を送っていた時期もあったようです。