太平洋戦争中の日本軍における「鉄拳制裁」を含むパワハラの実態は、多くの証言や記録に残されており、非常に過酷なものであったと言われています。
朝ドラ「あんぱん」のモデルとなったやなせたかしさんの経験もその典型です。
日本軍における鉄拳制裁とパワハラの実態
日本軍では、兵士に対する体罰、特に上官による下級兵士への「鉄拳制裁」が日常的に行われていました。
これは「しごき」や「精神注入棒」といった名目で正当化され、訓練の一環とされたり、規律を保つための手段と見なされたりしていました。
具体的な実態としては、以下のようなものが挙げられます。
・日常的な暴力と体罰
*鉄拳制裁
指導や規律の名のもとに、殴る、蹴る、ビンタをするなどの暴力が常態化していました。
特に「顔の形が変わるほどのビンタ」といった表現が残るほど、凄惨なものもあったようです。
*しごき
訓練や任務の失敗、あるいは単に上官の機嫌を損ねただけで、過酷な肉体労働や理不尽な命令が課せられました。
例えば、真冬に水浴びをさせられたり、延々と走り続けさせられたりするなどです。
*罵倒と精神的攻撃
「お前が死んでも誰も困らない」「軟弱だ」といった言葉による精神的な攻撃も日常的に行われ、兵士の尊厳を傷つけました。
*理不尽な命令
意味のないような作業を強要されたり、個人的な雑用を押し付けられたりすることも少なくありませんでした。
・背景と目的
*精神主義と根性論
日本軍は精神力や根性を重視する傾向が強く、体罰はその精神力を鍛えるための手段と見なされました。
*上意下達の徹底
上官の命令は絶対であり、それに従わない者は容赦なく罰せられました。
体罰は、この絶対的な上下関係を確立し、維持するための手段でもありました。
*戦場のストレス
戦争という極限状態の中で、上官もまたストレスを抱え、それを下級兵士にぶつける形で暴力がエスカレートした側面もあります。
*連帯責任
一人の兵士のミスや規律違反が部隊全体の責任とされ、連帯責任として罰せられることもありました。
・「いじめ」と「暴力の連鎖」
新兵に対するいじめや暴力は、上官からだけでなく、古参兵からも行われることが多く、暴力の連鎖が生じていました。
新兵が古参兵になると、今度は自分が受けた暴力を下の兵士に振るうという悪循環がありました。
このような状況は、兵士の士気を著しく低下させ、精神的な負担を与えただけでなく、肉体的にも追い詰め、病気や精神疾患の原因となることもありました。
また、一部の指揮官は体罰の禁止を厳達するケースもありましたが、全体としては看過されがちな状況だったと言えます。
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やなせたかしさんの軍隊経験
朝ドラ「あんぱん」の主人公である柳井嵩(やない たかし)のモデルである、やなせたかしさんも、太平洋戦争中に陸軍に徴兵され、非常に過酷な軍隊生活を送りました。
*徴兵と配属
1941年(昭和16年)、21歳で徴兵検査に合格し、福岡県の小倉にあった陸軍第十二師団野戦重砲兵第6連隊補充隊に入営しました。
近眼であったため「第一乙種合格」でしたが、それでも現役兵として軍隊に入ることになります。
*過酷な生活
やなせさんは元来、温厚で体力もあまりない方でしたが、軍隊では「軟弱にして気迫に欠ける」と見なされ、理不尽な暴力や精神的攻撃の対象となりました。
顔の形が変わるほどのビンタを受けるなど、日常的な体罰に苦しんだとされています。
*「お前が死んでも泣く者はいない」
入隊前には、「お前が死んでも泣く者はいない。おめでとう」と心無い言葉をかけられたこともあったと言われています。
法律上の家族がいなかったため、戸籍上天涯孤独と見なされ、どこの部隊でもいいだろうと判断された結果、縁もゆかりもない小倉の部隊に配属されたようです。
*中国への出征
1943年には中国の福州へ出征し、その後上海まで1000キロを徒歩で移動するという過酷な行軍も経験しました。
道中では中国軍との戦闘に遭遇したり、マラリアに感染し高熱で苦しんだり、食料不足で草を食べて飢えをしのぐなど、極限状態を経験しました。
*戦場での「正義」への疑問
戦争中、常に飢えに苦しみ、上官の理不尽な振る舞いを目の当たりにする中で、「本当の正義とは何か」という疑問を抱き始めました。
この疑問は、後の「アンパンマン」の創作理念に繋がっていきます。
*弟の戦死
やなせさんの弟である柳瀬千尋さんも海軍に入隊し、特攻兵器「人間魚雷」の乗組員として戦死しています。
弟の死は、やなせさんに「他者を救うには自己犠牲が必要」ということを痛感させ、アンパンマンが自らの顔を分け与えるという行動の原点の一つになったとも言われています。
やなせたかしさんの軍隊経験は、単なる苦難の記憶としてだけでなく、「アンパンマン」という作品に込められた「献身」「正義」「飢えと満腹」といったテーマの根幹をなすものとなりました。
彼は戦争体験を通じて、本当の正義とは何か、そして弱者を助けることの尊さを深く考え続けたのです。

