大河ドラマで描かれている蔦屋重三郎の妻「てい」の実家が地本屋で倒産し、その原因が蔦屋重三郎だった、という描写については、史実としてはっきりとした記録はありません。
以下に、史実とドラマでの描写について詳しく解説します。
蔦屋重三郎の妻「てい」について
〇史実での情報
蔦屋重三郎には妻がいたことは、彼の菩提寺である正法寺(東京都台東区)に残る墓碑に「妻女」の存在が記されていることから分かっています。
しかし、その妻の名前や出自、生い立ちなどに関する詳しい記録はほとんど残っていません。
当時の町人階級の女性は、公的な記録にあまり残らない存在でした。
正法寺にある重三郎の妻の戒名に「妙貞日義信女(みょうていにちぎしんにょ)」という記録があり、ここから「てい」という名が由来したとする説があります。
重三郎と妻との間に子どもがいたという記録も残っておらず、重三郎の死後は番頭(手代)の一人が婿養子となり、蔦屋を継承したと伝えられています。
〇大河ドラマでの描写
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では、妻の名前を「てい」とし、彼女の実家が地本屋で、それが倒産する原因が蔦屋重三郎にあった、という設定がなされているようです。
これは、史実の乏しい記録をもとに、ドラマとして物語を膨らませるために創作された要素と考えられます。
特に、名前すら記録にない「てい」という人物は、ドラマにおいて自由にキャラクターを形成できる余地が大きい存在です。
実家の倒産と蔦屋重三郎の関係について
〇史実での情報
蔦屋重三郎は、吉原の引手茶屋「蔦屋」の養子として育ち、当初は遊里案内書「細見」を扱う店を開業して地歩を固めました。
その後、黄表紙や洒落本、浮世絵などを手掛ける「出版人」として大成功を収めます。
彼自身が、他の地本屋を倒産させるような形で事業を拡大したという具体的な史料は確認されていません。
むしろ、重三郎は当時の時代背景、特に「寛政の改革」における出版統制によって、自身が幕府からの処罰を受け、財産を没収されるなどの苦難を経験しています。
この統制が彼の事業に大きな影響を与え、晩年には病(脚気)を患い、47歳で亡くなっています。
〇大河ドラマでの描写
ドラマで「てい」の実家が倒産し、その原因が重三郎にある、と描かれているとすれば、これは史実の出来事を直接的に反映したものではなく、ドラマオリジナルの脚色である可能性が高いです。
出版業界の競争や、当時の商慣習の中で、何らかの形で他店に影響を与えることはあったかもしれませんが、「重三郎が原因で実家が倒産した」という具体的な記録は見当たりません。
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まとめ
大河ドラマ『べらぼう』における蔦屋重三郎の妻「てい」に関する描写、特に彼女の実家の倒産とその原因が重三郎にあったという設定は、史実に基づいたものではなく、物語をよりドラマチックにするための創作であると理解するのが適切です。
歴史上の人物の生涯を描く大河ドラマでは、史実に基づきつつも、残された情報が少ない部分や人間関係の描写において、フィクションを交えて物語を構成することがよくあります。
蔦屋重三郎と妻「てい」の関係も、そのような創作性が強く反映されている部分と言えるでしょう。

