大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では、主人公である蔦屋重三郎が吉原で生まれ育った背景もあり、吉原の様子や、当時の江戸庶民の暮らしが詳細に描かれることが期待されています。
特に「江戸っ子の十二刻」というテーマは、彼らの日常を浮世絵と共に知る上で重要な要素となるでしょう。
吉原は、江戸幕府公認の遊廓であり、単なる性風俗の街ではなく、江戸文化の中心地として非常に重要な役割を担っていました。
吉原の歴史と変遷
*吉原は1617年(元和3年)に日本橋付近に設けられたのが始まりとされています。
当初は「葭原」と呼ばれていましたが、縁起を担いで「吉原」と改名されました。
*明暦の大火の後、浅草に移転し「新吉原」と呼ばれるようになります。
*明治以降も遊廓として営業を続けましたが、昭和33年の売春防止法の適用によってその長い歴史に幕を下ろしました。
文化の発信地としての吉原
*遊女たちは、歌舞伎や浮世絵など、当時の文化の発展に大きく貢献しました。
彼女たちは、流行の最先端をいく存在でもありました。
*例えば、現代の着物の着付けにも見られる「抜き襟」は、遊女が背中やうなじの露出面積を大きく見せるために始めた着付け法が一般に広まったものです。
*作中でも、蔦屋重三郎が新吉原の大門の前に貸本屋「耕書堂」を開き、人気作家や浮世絵師を数多く世に送り出しています。
これは吉原が単なる遊廓ではなく、文化の発信地であったことを示唆しています。
吉原の遊女たち
*吉原の中でも最上級の遊女は「花魁(おいらん)」と呼ばれ、当時のスターのような存在でした。
彼女たちは高い教養を持ち、教養、機転、色気といったすべてを兼ね備えていました。
*作中では、伝説の花魁「花の井」や「誰袖(たがそで)」といった実在の遊女たちが描かれ、その波乱に満ちた生涯や、教養の高さが浮き彫りにされると予想されます。
*吉原へは「猪牙舟(ちょきぶね)」という小型の舟で向かうこともあり、これは吉原通いの手段の一つとして描かれるようです。
江戸庶民の暮らし「江戸っ子の十二刻」
「江戸っ子の十二刻」とは、江戸時代の庶民の1日の生活を、当時の時間制度である「不定時法」に基づいて描くものです。
江戸時代は現代のように時刻が定まっていたわけではなく、季節によって一刻の長さが異なっていました。
一般的な町人の間では時計はほとんど普及しておらず、「時の鐘」の音で時刻を知るのが一般的でした。
『べらぼう』に関連して出版される書籍『浮世絵でわかる! 江戸っ子の十二刻』では、浮世絵を通して江戸庶民の「朝から晩まで」の暮らしが詳細に紹介されます。
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浮世絵でわかる!江戸っ子の十二刻
具体的には、以下のような日常が描かれます。
朝の始まり
・朝湯: 江戸っ子の朝は銭湯での朝湯から始まることが多かったようです。
・寺子屋: 子供たちは寺子屋で学び、読み書きそろばんを習いました。
日中の活動
・食事: 蕎麦や天ぷらといった手軽な食事が庶民の間で親しまれていました。
・買い物: 長屋の近くには様々な店が軒を連ね、活気ある買い物風景が見られたでしょう。
・水茶屋: 休憩や情報交換の場として水茶屋が利用されていました。
・仕事: 大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎のように、出版業に携わる人々もいれば、様々な職種の江戸庶民がいました。火消しのような職業の人々の姿も描かれます。
娯楽と文化
・富くじ: 庶民の娯楽の一つとして、富くじで運試しをする姿が見られました。
・相撲: 相撲は庶民に大人気の娯楽であり、多くの人々が熱狂していました。
・祭り: 祭りも江戸っ子にとって欠かせない行事であり、一年を通して様々な祭りが開催され、人々は楽しんでいました。
・初鰹: 季節の味覚である初鰹を楽しむ風習も描かれるでしょう。
これらの要素は、浮世絵という視覚的な資料を通じて、当時の人々の髪型や着物、そして長屋での暮らしぶりなど、江戸の風俗や文化が色鮮やかに再現されることになります。
『べらぼう』は、蔦屋重三郎という稀代のメディア王を通して、当時の江戸の活気ある文化と庶民の息遣いを我々に伝えてくれることでしょう。

