大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で描かれている佐野政言による田沼意知暗殺の背景にある「丈右衛門」や「一橋治済」の関与については、史実では明確な証拠がなく、大河ドラマ独自の解釈やフィクションの要素が強いと考えられます。
以下に史実とドラマの描写について詳しく説明します。
佐野政言が若年寄の田沼意知を江戸城中で斬りつけた事件は、天明4年(1784年)に実際に起こりました。
この事件で意知は重傷を負い、8日後に亡くなっています。
政言自身も事件の翌日に切腹を命じられました。
動機とされるもの
史実において、佐野政言の動機については諸説あります。
一般的に伝えられているのは、以下の私怨が挙げられます。
・家系図問題
佐野家は由緒ある旗本でしたが、田沼家は佐野家の家来筋だったとされ、田沼意知が佐野家の家系図を借りたまま返さず、自身の家系を粉飾しようとしたことへの不満。
・出世の約束不履行
政言が多額の賄賂を贈ったにもかかわらず、田沼意知が自身の出世の約束を果たさなかったことへの恨み。
・私的な不満
鷹狩りでの手柄を意知に取り次いでもらえなかった、地元の神社を勝手に「田沼大明神」に改名した、家紋の旗を返さなかった、といった個人的な遺恨。
幕府は、政言の動機を「乱心」として処理しました。
しかし、当時の田沼意次(意知の父)の政治に対する不満が高まっていたこともあり、庶民の間では政言が「世直し大明神」と称えられ、田沼政治の悪政を断ち切った英雄として扱われました。
この事件は、田沼意次失脚の大きなきっかけの一つとなります。
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ドラマにおける「丈右衛門」と「一橋治済」の関与
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では、佐野政言の背後に「丈右衛門」という人物が存在し、彼が政言をそそのかし、さらにその丈右衛門に指示を出しているのが「一橋治済」であるという筋立てが示唆されています。
■丈右衛門
丈右衛門は、ドラマでは平賀源内殺害事件にも関わった一橋治済の手先として描かれています。
彼が佐野政言を疑心暗鬼に陥れ、田沼意知への恨みを募らせるように暗躍する姿が描かれているようですが、丈右衛門という人物が佐野政言による田沼意知暗殺事件に直接関与したという史実の記録はありません。これはドラマオリジナルのキャラクター、あるいは複数の史実上の人物をモデルにした架空の存在である可能性が高いです。
■一橋治済
一橋治済は、第11代将軍徳川家斉の実父であり、非常に権勢を誇った人物です。
田沼意次が幕政を指揮する中、治済は松平定信ら「反田沼派」の黒幕として活動し、天明6年(1786年)に将軍家治が亡くなり家斉が将軍に就任すると、田沼意次の罷免と田沼派の一掃を主導しました。
一部の歴史解釈や陰謀論においては、一橋治済が田沼意知の暗殺に関与していた可能性が指摘されることがあります。
これは、治済が田沼政治を終わらせ、自らの子である家斉を将軍に就けるために、邪魔な存在であった田沼意次、意知父子を排除しようとした、という見方に基づくものです。
しかし、治済が佐野政言を直接操って意知を暗殺させたという確固たる史料や証拠は存在しません。、

