大河ドラマ『べらぼう』で生田斗真さんが演じる一橋治済(はるさだ)が「黒幕」「悪役」として描かれるのは、史実に基づいた憶測や、彼の政治的な立場、そして息子である11代将軍の徳川家斉の時代の特徴などが複合的に影響しているためです。
史実の治済が、ドラマで描かれるような明確な証拠を持つ「黒幕」だったかについては、「否」とする見解が有力です。
しかし、彼が絶大な権力を持ち、幕政を大きく左右した影の存在であったことは事実であり、その行動や結果が「悪役」のイメージに繋がりました。
■史実から見る一橋治済と「黒幕」イメージの根拠
一橋治済が「黒幕」あるいは「怪物」と称されるようになった主な要因を、史実と巷間に流布した憶測の両面から深掘りします。
1. 将軍後継者争いにおける強大な影響力
・将軍実父としての権勢
治済は御三卿の一つである一橋家の当主であり、後に第11代将軍となる徳川家斉(とくがわ いえなり)の実父です。
息子が将軍に就任した後、彼は「大御所」に準じる権勢を振るい、「将軍実父」として幕政に絶大な影響力を持ちました。
・家斉の在職期間の長さ
家斉は約50年にわたって将軍の地位にあり、治済は隠居後も長命を保ち(76歳で没)、処罰らしい処罰を受けることなく天寿を全うしました。この「勝ち逃げ」とも言える生涯が、彼の非道なイメージを強化しました。
2. 巷間に広まった「謀略」の憶測
史料に確たる証拠はないものの、当時の人々の間で治済が黒幕だと噂された具体的な事柄は、彼を「サイコパス」「怪物」のように描く大きな理由となっています。
・将軍世子、家基の急死
第10代将軍の家治の嫡男、家基(いえもと)が急死した際、「治済が毒を盛ったのではないか」という毒殺説が流れました。
家基の死によって、治済の息子である家斉が将軍の地位に就く道が開かれたため、治済の関与が疑われたのです。
『べらぼう』でもこの疑惑をベースに物語が展開されており、平賀源内の死などにも関連づけられています。
・「孫間引き」説
家斉は非常に子だくさんで、その数は50人以上にも及びましたが、成人前に早世した子も多かったことから、「治済が将軍家の血筋をコントロールするために孫たちを毒殺した」という恐ろしい噂まで流れました。
これは史実の裏付けのない後世の憶測ですが、「怪物」イメージの核となっています。
3. 松平定信との激しい確執
・寛政の改革と対立
治済は、田沼意次を失脚させた後、松平定信を老中首座に登用しました。
しかし、定信が推し進めた「寛政の改革」は、治済とその息子の家斉が好んだ豪奢な生活や放漫財政とは真っ向から対立するものでした。
・定信の失脚
最終的に治済は定信と対立し、尊号事件などをきっかけに定信を失脚に追い込みました。
この政治的な勝利は、治済が幕閣政治を意のままに操る影の権力者であったという印象を決定づけました。
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■「悪役」として描かれる構造的な理由
治済のイメージが悪役化するのは、単なる彼の行動だけでなく、彼が生きた時代の政治構造と結果にも起因しています。
1. 政治への無関心と弊害
・贅沢三昧の生活
治済自身が「天下の楽に先んじて楽しむ」と称されるほど贅沢な生活を送り、家斉もまた政治に熱心ではなく、側近に仕事を丸投げする傾向がありました。
・放漫財政の遠因
治済、家斉親子による大規模な養子縁組や華美な行事は、幕府の財政を圧迫しました。
結果的に、治済の贅沢志向は後の幕府の財政難を深刻化させる遠因となったとされています。
彼らは、政治の責任を放棄し、私利私欲を優先した「悪しき統治者」と見なされる側面があります。
2. 「御三卿」としての立場
御三卿は、将軍家に後継者がいない場合に備えた「スペア」の役割を担っていました。
治済は、この立場から将軍後継者問題に深く関わることになり、自身の息子を将軍の座に就けるという野心的な目標を達成しました。
この「野心家」としての姿が、陰謀めいた描写と結びつきやすい土壌を作りました。
これらの事柄から、史実の治済は「黒幕」と断定できる証拠はないものの、絶大な権力を持ち、自身の欲望と野心のために幕政に影響を与え、結果として幕府の財政を傾かせたという歴史的な評価から、「悪役」として描かれる説得力を持つのです。

