「ばけばけ」のモデルである小泉セツの出生の秘密、小泉八雲との出会いと結婚までの経緯、そして生涯の終焉については、史実として以下の情報があります。
■史実の小泉セツの出生の秘密
小泉セツは、慶応4年(1868年)2月4日に島根県松江市南田町で生まれました。
*実の父母(生家)
父: 小泉弥右衛門 湊(こいずみ やえもん みなと)。松江藩の番頭で、禄高300石を持つ家臣という上士の家柄でした。
母: チエ。松江藩家老職の塩見家の娘とされています。
セツは6人兄弟の次女でした。
*生後すぐの養子縁組
セツは生まれてからわずか7日目に、子のなかった親戚である稲垣金十郎 トミ夫妻の養女に迎えられました。
稲垣家も士族ですが、禄高100石の並士であり、セツの生家である小泉家よりは格式が下でした。
*「出生の秘密」
セツの「出生の秘密」は、裕福な家柄の小泉家(実家)の娘として生まれながら、すぐに稲垣家(育ての親)へ養子に出されたという点です。
ドラマの設定とは異なり、史実では小泉家が実の親で、稲垣家が育ての親にあたるとされています。
■小泉八雲との出会いと結婚までの経緯
*幼少期、最初の結婚と離縁
明治維新後の士族没落により、養家である稲垣家は生活が困窮します。
セツは小学校の下等教科を卒業後、11歳から機織り工場で働き家計を支えました。
18歳の時(1886年)、鳥取の士族、前田為二を婿養子に迎えて結婚しましたが、夫は経済的な理由などから1年ほどで出奔し、セツのもとには戻りませんでした。
22歳で正式に離婚し、実家である小泉家に戻りましたが、実家も困窮しており、生活のために外に働きに出る必要がありました。
*ラフカディオ・ハーンとの出会いと結婚
明治23~24年(1890?1891年)頃、セツは松江に英語教師として赴任していたラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)の家で住み込みの女中として働き始めました。
困難な人生を通り抜けてきた境遇や、子どもの頃から物語が好きという共通点もあり、二人は互いに信頼を深め、やがて夫婦として生活を共にするようになりました。
ハーンはセツから日本の民話などを聞き、それが『怪談』をはじめとするハーンの著作に大きく寄与しました。
セツはハーンの創作活動を支える共同制作者のような役割を果たしました。
1896年(明治29年)2月、ハーンは日本に帰化し、セツと正式に「外国人入夫結婚」をしました。
これにより、ハーンはセツの実家である小泉家の姓を名乗り、小泉八雲となりました。
二人は松江、熊本、神戸、東京と転居を重ねながら、三男一女に恵まれました。
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■小泉セツの生涯の終焉
*夫の死後
1904年(明治37年)に夫の小泉八雲に先立たれますが、セツはその後、未亡人として約27年間、比較的穏やかに暮らしました。
晩年は、夫の好きだったクリーム色の薔薇を供え、趣味の茶道や謡曲の稽古に励みました。
*最期
1932年(昭和7年)2月18日、小泉セツは八雲と暮らした新宿西大久保の家で、64歳で生涯を閉じました。
墓所は雑司ヶ谷にあり、八雲の墓の傍らに静かに眠っています。
八雲とともに過ごしたのは約13年8ヶ月間でした。

