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『ばけばけ』三之丞のモデル 小泉藤三郎の生涯

朝ドラ『ばけばけ』の三之丞(板垣李光人さん)のモデルとなっている人物は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻である小泉セツ(稲垣セツ)さんの実の弟、小泉藤三郎です。

以下に、史実とされる小泉藤三郎の生涯を詳しくまとめてみました。

■出生と家柄
・生年と出身
明治3年(1870年)7月28日(旧暦6月25日)、出雲国(現在の島根県)松江で生まれました。

・家柄
松江藩の上士である小泉弥右衛門湊(ひろ)とスエの三男として誕生。

小泉家は松江藩の番頭に列するほどの家柄で、母方の塩見家も家老などを輩出する武家の名族の血筋でした。

■士族の衰退と家族
・時代の変化
藤三郎が生まれた頃は、すでに江戸時代から明治時代に移行しており、廃藩置県や秩禄処分によって士族(旧武士)の家は急速に衰退していました。

・姉の養子縁組
セツは藤三郎の姉にあたりますが、生まれてすぐに親族の稲垣家に養女に出されており、養家で育ちました。

・兄の出奔と早逝
長兄は町娘と駆け落ちして家を出奔、次兄は19歳で早逝したため、三男の藤三郎が小泉家の後継者と目されることとなります。

■家業の継承と困窮
・家業の傾き
士族の衰退の影響などから、小泉家の家業は傾き、藤三郎が家を継いだ後も困窮していきました。

・父の病と自由奔放
父の湊が病に倒れると、家庭内の規律が崩れ、藤三郎は次第に自由奔放になっていったとされます。

ろくに働かず、姉や親からの仕送りに依存する生活を送っていたという記録もあります。

・「超大事なモノ」の売却
この困窮した時期に、家の墓を売り払ったという記録が残されています。

これが「超大事なモノ」の売却と絶縁の一因になったと見られています。

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■姉のセツとの関係と絶縁
・東京訪問
明治33年(1900年)ごろ、藤三郎は東京に住んでいた姉のセツ一家を訪ねています。

・一時的なかくまい
セツは一時的に弟をかくまいましたが、墓を売ったことへの責任追及などの問題で結局決裂し、藤三郎はセツ一家のもとを去ったと伝えられています。

この出来事が、家族との絶縁を決定づけたと考えられます。

■孤独な晩年と最期
・その後の消息
セツ一家のもとを去った後、藤三郎は長い間姿を現しませんでした。

・最期
大正5年(1916年)に、松江の小泉家の近くにあった空き家で亡くなっているのが発見されたと伝えられています。

享年45歳でした。

ドラマの三之丞は、史実の藤三郎に比べると比較的穏やかな人物として描かれているようですが、士族の凋落という大きな時代の波に翻弄され、家を継ぐ重圧と困窮の中で、孤独な生涯を送った人物であったと言えます。

この人物像や史実のエピソードが、ドラマ『ばけばけ』の三之丞の物語にどう影響していくのか、注目です。