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蔦屋重三郎の功罪 罪に焦点を当てる

大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』、完結しましたね。

蔦屋重三郎(蔦重)は、江戸文化のプロデューサーとして「稀代の目利き」と称賛される一方で、その強引なビジネス手法や、幕府の検閲制度との危うい距離感において、現代の視点からも当時からも「罪」と評される側面を持っています。

蔦屋重三郎の「罪」や負の側面について、以下の3つの観点から詳しく説明します。

1. 徹底した商業主義と「情報の独占」
蔦重は単なる文化の保護者ではなく、極めて冷徹なビジネスマンでした。

・独占的な版元活動
彼は吉原の細見(ガイドブック)の出版権を独占することから台頭しました。

これは情報の流通をコントロールし、競合を排除する動きでもありました。

・流行の捏造
現代でいう「ステルスマーケティング」に近い手法を駆使し、特定の絵師や作家を意図的に持ち上げ、大衆を扇動してブームを作り出しました。

これが「真実の芸術」よりも「売れる商品」を優先した結果、一部の質の低い作品を流通させたという批判もあります。

・作家の使い捨て
多くの才能を見出した一方で、売れなくなった作家や、自分の意向に従わない作家に対しては冷淡であったという側面も指摘されています。

2. 幕府検閲への「加担」と「擦り寄り」
蔦重の最大の功績は寛政の改革下で反骨精神を見せたこととされますが、見方を変えれば、彼は「体制を巧みに利用した」人物でもあります。

・検閲の自己検閲
幕府が取り締まりを強化する中、蔦重は生き残るために、どの程度の「エロ・グロ・ナンセンス」なら許されるかの境界線を常に探っていました。

これは表現の自由を守るためではなく、「処罰されないギリギリのラインで商売をする」ためであり、結果として表現の幅を自ら狭める役割を担った側面があります。

・プロパガンダへの協力
幕府が推奨する道徳観に沿った書籍も発行しており、商業的利益のために体制側の片棒を担ぐことも厭いませんでした。

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3. 寛政の改革における「見通しの甘さ」と巻き添え
ドラマでも描かれた「過料(罰金)」や「家産没収」の件は、彼の経営判断のミスという側面が強いです。

・喜多川歌麿や山東京伝の受難
蔦重は、幕府が本気で弾圧に乗り出している時期に、あえて挑発的な作品(山東京伝の『仕懸文庫』など)を出版しました。

これが「粋」や「反骨」と美化される一方で、実際には執筆した作家たちを過酷な刑罰(手鎖など)に追い込む原因を作りました。

・責任の所在
出版を強行したのは版元である蔦重ですが、実際に肉体的な罰や社会的制裁を強く受けたのはクリエイター側でした。

自身の野心や「売らんかな」の姿勢が、才能ある作家の筆を折らせ、あるいは寿命を縮めさせたという罪は重いと言えます。

■蔦屋重三郎の「功」と「罪」のまとめ
*商業的罪
独占的な情報操作と、利益至上主義によるクリエイターの消費。

*政治的罪
幕府の検閲制度をビジネスに利用し、表現の自由を戦略的に売り渡した点。

*倫理的罪
自身の経営判断ミスにより、作家(山東京伝ら)を刑罰の対象に巻き込んだ点。

※補足
蔦重が死の間際に放った「蔦屋、おもしろいことしかいたしません」という姿勢は、裏を返せば「おもしろければ(売れれば)倫理や他者の犠牲は二の次である」という、ある種の狂気と隣り合わせのものでした。