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小泉八雲 松江を去った後 彼の足跡

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)といえば、処女作『知られぬ日本の面影』の舞台である松江の印象が強いですが、彼の「怪談」への探求は、その後の熊本、神戸、東京での暮らしの中でより深まり、洗練されていきました。

松江を去った後の彼の足跡と、それぞれの地での創作への影響を辿ります。

1. 熊本時代(1891年~1894年):西洋と日本の葛藤
松江での1年3ヶ月の生活を終えたハーンは、第五高等中学校(現・熊本大学)の英語教師として熊本へ赴任します。

*暮らしの背景
松江のような「古き良き日本」を期待していたハーンにとって、近代化が進む軍都・熊本は少し居心地の悪い場所でした。

しかし、この地での孤独が、彼をより内省的な思索へと向かわせました。

*怪談への影響
熊本時代に執筆された『九州から』などの紀行文には、現地の民間信仰や幽霊話が含まれています。

また、熊本の厳しい武士道精神に触れたことで、日本の「精神性」や「忠義」をテーマにした物語の土台が築かれました。

2. 神戸時代(1894年~1896年):ジャーナリストとしての視点
健康上の理由と教師生活の限界から、ハーンは神戸へと移り、英字新聞『神戸クロニクル』の記者に戻ります。

*暮らしの背景
日本人と結婚し、日本に帰化する準備(小泉八雲への改名)を進めた時期です。

都会での生活は彼を疲れさせましたが、一方で世界的な視点から日本文化を再定義する準備期間となりました。

*怪談への影響
この時期、彼は日本の古典文学の英訳や、民俗学的な調査を精力的に行います。

新聞記者としての鋭い観察眼が、後の『怪談(Kwaidan)』に見られる無駄のない、研ぎ澄まされた文体へと繋がっていきます。

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3. 東京時代(1896年~1904年):集大成としての『怪談』
最後にして最も長い期間を過ごしたのが東京です。

帝国大学(現・東京大学)や早稲田大学で教鞭を執りました。

*暮らしの背景
新宿区の富久町や西大久保に住み、妻・セツから語り聞かされる日本各地の伝説を熱心に記録しました。

セツは、ハーンが好む「恐ろしくも美しい話」を古本屋などで探し出し、彼にわかりやすい言葉で語り直したと言われています。

*怪談への影響
名著『怪談(Kwaidan)』や『霊の日本』はこの東京時代に誕生しました。

*『耳なし芳一』や『雪女』
セツの語りや、彼が旅先(焼津など)で得たインスピレーションを、西洋の文学的技巧を用いて再構築しました。

*焼津での夏
彼は静岡県の焼津を非常に愛し、毎夏訪れては漁師たちと交流しました。海にまつわる怪異譚や、死生観についての洞察は、この地の素朴な人々との関わりから得たものです。

〇ハーンの創作スタイル:セツとの共同作業
ハーンの怪談は、単なる翻訳ではありません。

彼には独特の執筆プロセスがありました。

1.採集
妻のセツに「何か面白い話はないか」と尋ねる。

2.語り
セツが日本の古典や民話から話を選び、彼に読み聞かせる。

3.再構築
ハーンがその物語の背後にある「日本人の心」を抽出し、文学的な潤色を加えて英語で執筆する。

このように、彼は松江で得た「日本の魂」を、熊本や東京での思索を通じて磨き上げ、世界に通用する文学へと昇華させたのです。