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小泉八雲 熊本移住 決意した理由

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が松江から熊本へ移住を決意した背景には、「セツ夫人の親族を養うための経済的理由」が非常に大きなウエイトを占めていました。

当時の状況を整理して説明します。

1. 松江時代の経済的困窮
1890年に来日した八雲は、島根県尋常中学校(松江)の教師として働き始め、小泉セツと結婚しました。

しかし、松江での生活には二つの大きな問題が生じます。

・薄給と大家族
松江時代の八雲の月給は45円ほどでした。

一方で、没落士族であったセツの親族(両親や祖父母など)を次々と引き取ることになり、八雲が養うべき人数は最終的に9人にまで膨れ上がりました。

・厳しい気候
寒さに弱い八雲にとって、松江の冬の厳しさは耐えがたく、体調を崩しがちでした。

2. 熊本(第五高等中学校)への招聘
こうした状況の中、友人のバジル・ホール・チェンバレンの紹介もあり、熊本の「第五高等中学校(現・熊本大学)」から英語教師としてのオファーが届きます。

移住を決意させた主な要因は以下の通りです。

*破格の給与条件
熊本での月給は100円(後にさらに昇給)と提示されました。

これは松江時代の2倍以上の金額です。

セツの親族一同を連れて移動し、彼ら全員の生活を支え、さらに将来への蓄えをつくるためには、この高額な報酬はどうしても必要なものでした。

八雲は「セツを幸せにしたい、彼女の家族を守らなければならない」という強い責任感を持っていました。

*教育機関の格付け
松江の「尋常中学校(現在の中学校・高校相当)」に対し、熊本の「第五高等中学校」は、卒業すれば帝国大学へ進学できるエリート養成機関でした。

教師としてのステータスも上がり、より質の高い教育環境を求めていた八雲にとって魅力的な提案でした。

*温暖な気候への期待
北国の松江に比べ、九州の熊本は温暖であると期待していました。

実際には熊本の冬も底冷えが厳しく、後に八雲は「熊本の寒さは松江とは違う種類のものだ」と愚痴をこぼすことになりますが、移住前は気候の良さも決断のポイントでした。

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3. 理想と現実のギャップ
熊本に移住した八雲は、経済的な安定こそ手に入れましたが、精神面では必ずしも幸福ではありませんでした。

・「神々の国の首都」松江への郷愁
素朴で伝統が残る松江を愛していた八雲にとって、近代化が進み、軍隊の気配が強い「軍都・熊本」は、あまりに殺風景で官僚的に映りました。

・多忙な業務
高等教育機関での授業準備や校務は忙しく、彼が愛した「日本の古き良き精神」を探索する時間は削られていきました。

結果として、熊本時代の八雲は内省的になり、その孤独感や不満が、名作『知られぬ日本の面影』の執筆や、日本へのより深い考察へとつながっていくことになります。

※まとめ
八雲の熊本移住は、「愛する妻セツの家族(小泉家)を養うという個人的な自己犠牲」と、「職業的ステップアップ」の両面から決断されたものでした。

特に金銭面での切実な事情は、当時の彼の手紙などからも色濃く読み取ることができます。