小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と、妻のセツが熊本で過ごした期間は、1891年(明治24年)から1894年(明治27年)までの約3年間です。
島根県松江から移り住んだこの地での生活は、ハーンにとって日本という国をより深く、時には客観的に理解するための重要な転換点となりました。
当時の暮らしについて、住居と人間関係を軸にご紹介します。
■熊本での住居と生活環境
ハーンは熊本で3度転居していますが、現在「小泉八雲熊本旧居」として保存されているのは、最初に入居した手取本町(現在の熊本市中央区安政町)の家です。
*住居の特徴
ハーンは日本の伝統的な建築を愛し、ここでも武家屋敷風の建物を好んで選びました。
松江の素朴な家と比べると、当時の熊本の住居は広々としており、庭には緑が溢れていました。
*セツ夫人の役割
セツ夫人は、日本語が堪能でないハーンに代わって家政を一切取り仕切りました。
ハーンは非常に神経質な一面がありましたが、セツ夫人が作る穏やかな家庭環境の中で、彼は執筆に集中することができました。
*生活の変化
松江時代に比べ、熊本は当時「九州の軍都・学都」として近代化が進んでいました。
ハーンはこの急速な西洋化、近代化に戸惑いを感じつつも、自宅ではセツ夫人や奉公人たちと伝統的な日本の生活様式を貫きました。
■熊本での人間関係
熊本でのハーンは、第五高等中学校(現在の熊本大学の前身)の英語教師として勤務していました。
そこでの人間関係は、彼の思想に大きな影響を与えています。
1. 嘉納治五郎との出会い
当時の校長は、柔道の創始者として知られる嘉納治五郎でした。
ハーンは嘉納の教育理念や「柔道」の精神に深く感銘を受けました。
相手の力を利用して制するという柔道の概念を、ハーンは「日本の強さ」の象徴として捉え、後にエッセイ『柔術』の中で世界に紹介しています。
2. 同僚や教え子たち
*同僚との交流
英語教師であった溝口白羊らと親交がありました。
しかし、学内の事務的な手続きや形式主義には馴染めず、孤立感を感じることもあったようです。
*教え子への眼差し
学生たちに対しては非常に熱心で、彼らの純朴な気質を愛しました。
ハーンの講義は非常に人気があり、学生たちもまた、異国の地から来たこの教師を「ヘルンさん」と呼び慕いました。
3. 地域の人々との関わり
ハーンは、有名な観光地よりも、地元の寺院や古い街並みを歩くことを好みました。
近隣の蓮光寺や、五高の近くにある神社などを訪れ、名もなき庶民の信仰心や伝統的な習慣を観察していました。
これらの観察眼が、後の名著『知られぬ日本の面影』の後半部分や『九州の歌』などの作品に結実しています。
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■熊本時代の意義
ハーンにとって熊本時代は、必ずしも幸福な思い出ばかりではありませんでした。
急速に西洋化する日本の姿に失望を感じることもありましたが、一方で、セツ夫人との間に長男・一雄が誕生したのもこの地です。
父親となった喜びと、家族を守るという責任感が、彼をより一層執筆活動へと向かわせました。
熊本での暮らしは、ハーンが「日本の外側」から「日本の内側(家庭と精神)」へと深く入り込んでいくプロセスであったと言えるでしょう。

