NHK朝ドラ『風、薫る』の設定(主人公・一ノ瀬りんの家=元筆頭家老)と、史実におけるモデル人物の実像を、史料に基づいてお伝えします。
■史実では「元筆頭家老の家」という設定は、おおむね史実に近い
ドラマの一ノ瀬りんのモデルは 大関和(おおぜき かず)、その父のモデルは 大関弾右衛門(団右衛門)増虎(1827~1876) です。
彼は実際に 黒羽藩(栃木県)の家老(国家老) を務めた人物で、ドラマの設定は史実を踏まえたものです。
1. 史実:大関弾右衛門(団右衛門)増虎とはどんな人物か
*黒羽藩の重臣・家老
那須氏庶流・大関家の一族で、黒羽藩に仕えた武士。
1863年(文久3)、藩主・大関増裕の信任を受け 国家老(家老)に抜擢。
藩政改革の一環として 硫黄採掘事業 を推進し、財政再建に取り組んだ。
黒羽藩は小藩であり、家老といっても石高は200石程度で、規模としては大藩の家老より小さいものの、藩政の中心を担う重要な役職でした。
2. 幕末~維新期の動向:藩主の死と家老辞職
*藩主・大関増裕の急死(自害説あり)
1867年12月、藩主・大関増裕が猟中に死亡。
事故死と発表されたが、自害説 が強く、大関増虎は娘(大関和)に「自殺だった」と語ったとされる。
*増虎の苦悩と辞職
藩主の死後、黒羽藩は新政府側につくことを決断。
増虎は慶応4年(1868)に 家老を辞職。
一時は帰農を試みたが、藩に請われて家知事(家老より下位)として復帰。
3. 明治維新後の生活:東京へ移住し、商売に失敗
明治初期、家族とともに 東京へ移住。
商売に手を出すがうまくいかず、生活は安定しなかった。
その後、病気がちになり、1876年(明治9)に50歳で死去。
4. 家柄:那須与一につながる名族
大関家は那須氏庶流で、系譜をたどると 那須与一 に遡ると伝えられています。
江戸時代には黒羽藩主家となり、地域社会では名族として扱われました。
ドラマの「元筆頭家老の家」という設定は、この家格の高さを反映したものと考えられます。
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5. 史実の父の人物像:資料は少ないが、以下が判明している
史料は主に公務記録が中心で、私生活の詳細は多く残っていません。
しかし、以下の点は確実にわかっています。
① 黒羽藩の家老として藩政改革に関与
硫黄採掘などの近代化政策を担当。
② 藩主の死をめぐる苦悩
藩主の自害(とされる死)を受け、藩の存続のために奔走。
③ 維新後の困窮
東京での商売に失敗し、家族は経済的に苦しい状況に置かれた。
④ 娘・大関和の教育に影響
原案小説では「教育熱心な父」として描かれ、娘の自立心に影響を与えたとされる。
(これは史実というより、原案の描写)
6. ドラマとの違い
ドラマの一ノ瀬信右衛門は史実を基にしつつ、以下の点が脚色されています。
〇史実(大関増虎)
実際に国家老
東京へ移住、商売失敗
資料少なく不明
※ドラマ設定(信右衛門)
元筆頭家老として描写
農家として慎ましく暮らす設定
穏やかで教育熱心な父として描写
■まとめ
史実の大関増虎は、黒羽藩の家老として藩政改革に関わり、幕末の動乱の中で藩主の死と藩の存続に苦悩した人物です。
明治維新後は東京で困窮し、50歳で亡くなりました。
ドラマ『風、薫る』の「元筆頭家老の家」という設定は、
大関家の家格(那須氏庶流・名族)と、増虎が実際に家老だった史実を踏まえたものと言えます。
