スポンサーリンク

植物学者 牧野富太郎博士の功績

植物学者の牧野富太郎博士(1861年-1953年)は、日本の植物分類学の基礎を築いた人物で、日本の植物学の父と呼ばれています。

牧野富太郎博士は今から160年前、江戸時代の終わり1862年(文久2年)4月24日、高知県高岡郡佐川町(当時:佐川村)で酒蔵と小間物を営む商家・岸屋の跡継ぎとして生まれました。

牧野富太郎博士の妻は、小沢寿衛子(すえこ)という名前でした。

彼女は牧野富太郎の2番目の妻で、最初の妻は猶(なお)という名前でした。

寿衛子は牧野富太郎との間に13人の子どもをもうけましたが、そのうち4人は夭折しました。

彼女は牧野富太郎を尊敬し、支えていました。

彼女の名前を新種の笹に「スエコザサ」と命名したこともありました

彼の功績は、以下のようにまとめられます。

新種の植物の発見・命名、および標本収集
彼は生涯で約600種以上の新種を発見し、その多くに和名をつけました。

また、約40万点の植物標本を収集し、その一部は国の天然記念物に指定されています。

植物図の描画
彼は自ら約1700点の植物図を描き、その美しさと正確さに定評があります。

彼の代表作である『牧野日本植物図鑑』は、日本の植物図鑑の金字塔として現在も重宝されています。

植物園の設立・運営
彼は高知県に牧野植物園を設立し、その園長を務めました。

この植物園は、彼が収集した標本や図鑑などを展示するとともに、高知県の自然や文化を紹介する施設として親しまれています。