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高齢者だからこそたくましく生きる!?

年を重ねると寂しくなるのでしょうか。あるいは退屈するのでしょうか。確かに若い時できたことが、年を重ねていくにしたがってできないことも多くなる気がします。

逆に年に関係なく何でもやりたがる人もいることでしょう。時間がたっぷりあるのですから、今までやりたくてもできなかったことに挑戦するのも良いですよね。

現在の問題はこれまでになく高齢者が多いということがいわれています。一方出産が調整できるようになっているので、今では子供は1人か2人の家庭が多いのではないでしょうか。

少子高齢化社会です。欧米や日本では、高齢者が軽んじられるようになっているのかもしれません。自分達の大切な人をないがしろにしているといっても過言ではないでしょう。

高齢者は、親族や親しい人から見放されている… ほとんどの場合、幸せな人生を送っていないといえるかもしれませんんね。

一方ニューギニアの伝統社会では、お年よりは子供達と一緒に暮らしています。文字の無い伝統社会では、私達には想像できないほど高齢者の存在価値が大きいと考えられています。

私達は何か知りたいことがあれば、インターネットや百科事典で調べます。文字の無い社会では、長老達の記憶がたよりになってきます。過去に巨大台風が島にある全ての庭と畑をなぎ倒しまったことがあったそうです。

その時村の長老から、果物の樹のことを教えられたといいます。日頃は見向きもされない果物が、実は緊急時に大切な栄養源になることをその長老は覚えていたのです。長老の記憶が村を救ったのです。

伝統社会では書物がないので高齢者がその代りとなって重要な価値を持つといえるでしょう。智恵と知識の宝庫である高齢者を大切に扱うのです。

現代社会ではどうでしょう。私達は65歳になってもまだまだ健康で仕事を続けられます。でもヨーロッパや日本では定年退職制度によって強制的に引退させられます。

能力の頂点で引退させられるのは余りに酷いことです。また社会全体にとっても経験豊富で価値のあるお年寄りのパワーを失ってしまうのは大きな損失です。

定年制度は、高齢の従業員を労働から解放することと、企業が高率的に業務を進めることができるよう19世紀後半に導入されました。

しかし、アメリカでは1986年「雇用における年齢差別禁止法」によって法律が改正され、殆どの職業で定年制度が廃止されました。それによって社員は原則として自身が退職を決意するまで働くことが可能となったのです。

私達は伝統社会の優れた側面から学び、高齢化社会を生き延びるために、お年寄りが仕事や子育てに参加して、いきいきと暮らせる社会を実現するべきではないでしょうか。