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クレオパトラは悪女?

古代エジプトの最後の女王クレオパトラ7世(BC69年~BC30年)は、美貌で時の権力者に取り入って王座を勝ち取ったなど、魅惑的な悪女として語りつがれているが本当にそうだったのでしょうか?

およそ2000年前、700万人を超える民を統治したクレオパトラは絶対的支配者だったといいます。支配地域は現在のリビアからシリアまでの非常に広大な地域でした。クレオパトラは古代で一番裕福だったといわれています。

クレオパトラの伝説はローマ人によって語り継がれてきたといいます。ローマの英雄を誘惑したのですから良い人とは言われませんね。悪女として物語が作られていったに違いありません。

クレオパトラは、エジプト人ではなくギリシャ人のプトレマイオス家の一族といわれています。プトレマイオス家の一族は近親婚で知られていて、クレオパトラの両親は兄弟ではないかと考えられています。

BC48年、21歳のクレオパトラはファラオの座を巡って内戦のさなかにいたといいます。敵はクレオパトラの夫で弟。同じ頃ローマでも内戦がありユリウス・カエサルが資金と援軍を求めてアレクサンドリアにやってきたといいます。

ユリウス・カエサルは当時最も有名な軍人で、クレオパトラはカエサルを味方につけようとして利害が一致したと考えられます。その結果クレオパトラは同盟を結び王座を勝ち取ったといいます。

翌年クレオパトラはカエサルの子(男児)を出産します。絶妙なタイミングと考えられています。古代エジプトでは重要なことは跡取りを王座につけること。全てが上手くいったと考えられます。

クレオパトラの実像
古代エジプトでは王座に着くと、硬貨を全て自分の肖像画のものに造り替えたそうです。その肖像を見るとクレオパトラは美人ではありませんね。むしろ強さや支配者を意識している感じがします。

また、プトレマイオス一族の図書館で長い時間を過ごしたクレオパトラは博識だったといわれています。全ての古典を読破し、読み書きはもちろん、スピーチのノウハウや修辞学、数学など当時の最良の教育を受けていたと考えられています。

クレオパトラは、政治、経済、科学、毒物について学び、9つの言語を操る才女だっといいます。最近の研究ではクレオパトラについて、出版されていないアラビア語の文献に記録されていることが分かったといいます。

それによると女王は賢く博識で哲学者でもありました。学者達を尊重し地位を上げ、彼らと過ごす時間を楽しみました。高度な教育を受け、優れた知性を持ち自分が治める国を深く知っていたといいます。

クレオパトラは知的でやり手の政治指導者だったようです。容姿は関係なく、君子として問題を処理し国を治める能力、他者との駆け引きに長けていたと考えられています。

大図書館の一部が火事で焼け、クレオパトラに関する多くの資料が消失し、またアレクサンドリアは津波で破壊されたためクレオパトラに資料が少ないといいます。考古学的な発掘調査が重要だと考えられています。

最近、アレクサンドリア近郊の神殿遺跡の発掘調査で2体のミイラが発見されました。クレオパトラとの関係が注目されるところです。