スポンサーリンク

コロナ禍での虚無感にどう向き合うか?

不条理
ベストセラー小説ペストの著者フランスの文学者アルベール・カミュ(1913-1960)がそのヒントになるかもしれません。カミュは戦後最年少でノーベル文学賞を受賞しています。

カミュが生涯のテーマにしたのが不条理でした。辞書によれば不条理とは「物事の筋道が通らないこと、道理に合わないこと」とあります。

カミュの人生は不条理の連続だったといいます。生まれたのは当時フランス領だったアフリカ大陸のアルジェリア。彼が1歳の時第一次世界大戦で父が戦死しました。

彼は兄と共に祖母の家に身を寄せます。母は耳が不自由で職に就けず生活は困窮、カミュは少年期を貧しさの中で過ごしたといいます。貧しさから抜け出すため勉学に励んだようです。

17歳の高校生時にはサッカー選手として有望視されていたといいます。しかし結核を患いサッカー選手の夢が絶たれます。そして死の恐怖を抱えながらその後の人生を生きていくことになります。

大学では文学を専攻、自分の体験をも元にして不条理について書き始めたといいます。やがて集団的不条理について関心を寄せていくようになります。

きっかけはカミュが26歳の時に起きた第二次世界大戦(1939-1945)です。ナチスドイツがパリを占領、多くの民間人が戦火のもとで悲しみ苦しみました。

この戦争でとらえた集団的不条理は、巨大な厄災、個人では対抗しようがない、誰にしても起こると整理できるのではないでしょうか。

新型コロナウイルス
新型コロナウイルスも世界中に広がるほど巨大で、対抗しようがなく、誰にでも起こりうるといえます。この集団的不条理の中でどう生きたらいいのでしょうか?

行動範囲が狭まることは苦しい悲しい、今までの自由が奪われる悲しみ苦しみ、悲しみはプールに行けない苦しみはサウナに行けない、先が見えない、いつ再開するのか分からない休業を受け止めないといけない。

個人の力だけではどうにもならない自分が凄く無力であるという虚無感、心の病だったり体の病だったり集団的パニックを起こすのかもしれない。この虚無感をうまく埋めることができたら虚無感がなくなる可能性がある。

人を見る時にマスクをしているかしていないかで見ている。マスクをしていない人が悪い人のように見えてしまう。個性ある人が感染の危険を感じさせる対象として論じられている。

物事の意味とは初めからついているものではなくて、私達が生きている中で意味づけていっているもの、コロナによって今までの意味が剥がされている。

仕事での役割や家族の役割はその人を位置づける大事なものです。ところがコロナ禍においては役割や意味は重視されません。感染しているか感染していないかが問われ、それ以外は考慮されなくなっているのかもしれない。

自分ににできることを誠実にやる
カミュが書いたペストの中で、「あなたは抽象の世界にいるのです」というフレーズがあります。意味を失った状態が抽象だと考えられます。

カミュ曰く、「抽象は不幸をもたらす」抽象は注目する要素だけを抜き出して他を捨てる。私達は抽象化されている、抽象的な存在になっている。

この抽象から抜け出すにはどうしたらいいのでしょうか?「ペスト」では意外な人物が活躍します。平凡な町役人が保険隊に志願します。ペスト患者数を統計的にまとめたり、患者を届ける車の運転をします。

ヒーロー的なもたない男が今では保険隊の幹事役のようなものを勤めるようになった。彼が望んだのはささやかな仕事で役に立ちたいということだけであった。自分ができる役割を誠実に続けただけ。

彼の行動にあった集団的不条理に向き合うヒントは、自分ににできることそれを誠実にやる。コロナでいうと、衛生状態に気をつけてうつさないうつされない生活を誠実におくる。

「抗うことが人間の証し、全ての人間の価値を築きあげる」by カミュ