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些細なことでも迷ってしまう?

荘子(紀元前369頃ー紀元前286頃)の壮大でたおやかな哲学を参考にしながら、迷わない生き方についてそのヒントを見つけていきましょう。

荘子の本名は荘周、あらゆる学問に精通していたといいます。ある国の使者が来て荘子に対し、我が国の政務をお任せしたいといったそうです。

彼は迷うことなく「お断りします」と返事したといいます。「私は泥水で泳ぐ亀のように気ままでいたい」荘子は貧しい隠遁生活をしながら、庶民がどう生きれば幸せになれるのか考え続けたといいます。

例えば、「役立たずでも良い、酷使されず長生きできる」こうした教えは、33章からなる書物にまとめられているといいます。ただ普通の本とは違ってその多くは寓話になっています。

胡蝶の夢
わたし荘周は夢で胡蝶になった。ひらひらと舞う胡蝶。心ゆくまで空に遊んで、もはや荘周であることなど忘れはてていた。ところが、ふと目覚めてみれば、まぎれもなく人間荘周。荘周が夢で胡蝶となったのか。それとも、胡蝶が夢で荘周となったのか。

それはなかなかできない証明。そういう中で万物斉同=全てのものは等しく同じである。という迷いの処方箋を導き出したと考えられています。

迷った経験は?
絵は上手いだけが取り柄ではない、写真のように描けるのがうまいと思っていたがそうではなく、迷いが出てきた。

良い選択肢と悪い選択肢の違いは?
良い選択肢と悪い選択肢は、そんなには変わらないのかもしれない。人のために選んだことの方が成功している。

荘子いわく、「是があるから非がある。非があるから是がある。分けることはできない」

良いことも悪いことも本当はないのかもしれない。人間が勝手に良い、悪いを決めているような気がする。

朝三暮四
飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に3つ、暮れに4つやるというと猿が少ないと怒ったため、朝に4つ、暮れに3つやるというととても喜んだという。

目先の違いに気を取られ、結局は同じことであることに気づかない。物事を損得勘定で考え始めた時に迷いは始まるのかもしれません。

荘子いわく、「分別によって人は惑わされる」分析して選択肢を作らなければ迷うことはないともいえますね。

選択する時に迷うのは当たり前のこと。選択することの積み重ねで人間は大きくなる。