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大手電気メーカーの栄枯盛衰

プラズマテレビは大画面で高精細で注目され、2000年代は巨額な投資がされていた。しかし液晶テレビとの派遣争いにやぶれ2013年撤退。当時何千億とかけて建てた工場があったがそれが終了といった苦い経験が過去にある。

しかしながら、古きを訪ねて新しきを知るのように、昔のことを研究して、そこから現代でもヒットするような新しいアイデアを見つけ出すことはできないだろうか。

1961年 超小型テープレコーダー
当時の大卒初任給をはるかに超えたのにヒットした。大卒初任給の3倍位という高級品、現代では決して超小型ではなく、重量も相当重い。当時のカナダの首相も愛用。

結構高い値段でありながら、どうして市場で売れたのか勝てたのか。お客のニーズをどうとるかいつも模索している中、何か参考になるかもしれない。

トランジスタ式
テープレコーダー
RQ-114
正価 34,800円
定価 35,500円

「ハワイに行って音をとろう」当時の憧れだったハワイ、セレブの承認欲求をかきたてるようなCMにしたり売り方自体も工夫していたようだ。

2000年 IT時代を先取りしたオーブンレンジ
レシピが表示できるSDカード対応の画期的なオーブンレンジ。最近はアプリを使って電子レンジと連携する機能が付いている。20年前にそういう発想を持った人がいた。

新しい発想はどう商品化されたのだろうか。SDカードに365日分のレシピを入れる。レンジでレシピが見られれば献立の悩みを解消できるのではないかと考えられた。

しかしデジタル家電は当時はまだ一般家庭には馴染まず売れなかった。

電池で動く商品シリーズ
電池式缶切り器、電池式マヨネーズメーカー、電池式ワインオープナーなどユニークな商品はなぜ大量に開発されたのだろうか。

電池をできるだけ多く売るために開発されたようだ。後に単1から単4までどの電池でも使用可能な懐中電灯ができ、100万本の大ヒットとなった。

究極の寄り添い型商品ではないだろうか。人を笑顔にできるかに尽きるのかもしれない。誰かを笑顔にできるか、幸せにできるかが原点。

社会が少しでも良くなるように貢献できたらいいなというふうに、先人はそういうことをやってきたからこそ会社が成長できた。

1983年 フレキシブル看護師専用ライト
美容家電を開発する中、本当に世の中の役に立てる商品とはなんだろう。常に新しいことを提案していく難しさを感じているという。

フレキシブルライトは看護師さんの胸ポケットに入れて使う商品。夜仕事をする時にとても助かったと評判だった。

今だとネットでアンケートを取れるのだが、当時はそんな時代ではないので、ニーズをどういうふうに調査したのだろうか。

1964年東京五輪による好景気が終り、家電業界は売り上げが大きく落ち込んでいた。

そんな折、家電メーカーのある57際の営業マンが末期の肝臓がんで都内の病院に入院した。担当になった23歳の看護師、夜に懐中電灯を片手に点滴の交換に手間取っていた。

その営業マンは、看護師にライトはどこにあったら便利かと訊ねたという。どうすれば夜勤の看護師の役に立てるのか新製品を考え始めていた。

試作を何度か行いようやく商品化が決まった1か月後に、営業マンは亡くなった。そのフレキシブルライトは28万本を売り上げヒット商品となった。

いつの時代も本当の仕事とは、1対1で顔を合わせて何が困っているのか何が必要なのか、本当のところの真髄を聞いてものづくりに反映しないといけないことが分かった。